国産風車 長崎から広がった
(2008年09月10日の読売新聞(夕刊) 「始まりへの旅」に掲載されました。)
![]() 長さ45メートルという発電用風車の巨大な羽根。 地球温暖化問題への関心が高まり、国内外へ輸送される。 |
白く、巨大で、流線形の造形物が横たわって船出を待つ。
波頭きらめく長崎港に面した三菱重工業長崎造船所(長崎市)の一角。長さ45メートル、幅2・5メートル、重さ10トンというその造形物は、繊維強化プラスチック(FRP)製の羽根。最新型風車の部品だ。
3枚を取りつけて仕上げる完成形は地上約120メートル。30階建ての超高層ビルにも匹敵し、日本最大の規模を誇る。出力は2400キロ・ワット。わずかに枝葉が揺れるそよ風で回転を始め、年間でドラム缶1万1000本分の石油と同じエネルギーを生み出すという。
今や地球温暖化対策に不可欠と言える発電用風車。その国産初号機もこの造船所で開発された。早くから西洋文明に触れた地だからこそ息づく技術力の伝統が、商用の風力発電を軌道に乗せた。
石油危機 風力発電に活路
幕末の1857年、唯一の国際貿易港だった長崎港に、船舶修理用ドックとして「長崎鎔鉄(ようてつ)所」が開設された。幕府がオランダの技術協力を得て建設した初の洋式工場。明治維新を経て84年7月、岩崎弥太郎(1835~85)が借り受け、造船事業を始動させた。後の三菱重工業の誕生だ。
明治後期から北米航路を航行した豪華客船、天洋丸。大和と並ぶ史上最大の戦艦、武蔵。戦後の引き揚げ船として旧ソ連と舞鶴港を結んだ興安丸……。数々の船を建造し、長く「東洋一の造船所」と呼ばれたが、1970年代の2度の石油危機に揺らぐ。
タンカーの受注が激減し、主力の一つだった火力発電装置も不振に陥った。原油高の「余震」がなお続くなか、入社7年目だった松浪雄二さん(53)に上司の対馬健さん(70)から声がかかった。
「一緒に風車をやらんか」。原油に頼らない発電装置が求められる時代が必ず来る。そう聞かされて、火力発電用ボイラーの担当から離れ、風車開発チームに加わった。80年春のことだ。
伝統の造船技術生きる
「まさにゼロからのスタートでした」と松浪さんは述懐する。
当時、欧米では発電用風車の大型化が進んでいたが、故障が多く壁に突き当たっていた。国内でも終戦直後、木製の小型風車が北海道の農家を中心にして数千基規模で使われたが、50年代後半、送電網の発達で廃れ、参考になる先例が見当たらなかったのだ。
「故障しない風車を造る」。自らも含めて3人のメンバーでそう意気込んだが、研究費はごくわずかだった。船舶エンジンの開発で培われた流体力学や制御工学といった高度技術を用いて何とか設計したが、材料調達も難しい。
講じた手段は、ヘリコプターの中古羽根の再利用だった。自衛隊にかけ合い、29枚を入手した。土台にも困り、タンカー用タラップの残骸(ざんがい)を使った。「新品は発電機だけ」というつぎはぎだらけの初号機は、開発開始から9か月後、工場の桟橋で回り始めた。
![]() ヘリコプターのアルミ製羽根を再利用した国産風車の初号機 |
誰もが感慨より恐怖を感じたらしい。「バタバタ回る羽根に、見物していた社員は逃げ出した」という。実際、羽根が折れ、歯車が壊れたことも数知れない。
出力40キロ・ワット。風がある時だけ工場の湯を沸かすというささやかな役割を果たしつつ、試験運転を続けた。トラブルを受けて様々な技術が生まれ、中でも、羽根の取り付け部を可動式とし、角度を自動制御して風を効率よく使う技術は後に世界標準となった。
風力による電気が国内で初めて送電線を流れたのは82年11月。初号機のデータを生かした2号機が鹿児島県・沖永良部島で民家300軒に灯(あか)りをともした。成功を機に、米ハワイ州から37基の注文が舞い込む。中古羽根では対応できず、軽くて強いFRPを用いて量産体制を整え、93年当時、世界のトップメーカーに躍進した。
風車に詳しい松岡憲司・龍谷大教授(58)がその理由を語る。「幕末以降、素材から機械まで広範な工業分野を切り開き、底力がついていた。信頼性が違った」
桟橋に立った。かつて、バタバタと羽音をさせた初号機は形もなく、ドックの鎚(つち)音が響く。
案内役を務めてくれた松浪さんは今、主席技師。当初メンバーで唯一の現役として、送り出した約1300基のケアに飛び回る。90年代後半以降、欧州で風車生産が進み、市場占有率は落ちたが、7代目の最新型まで開発にかかわった自信は揺るぎない。
「国産の風車は台風が多い自然に学び、鍛えられている。いつも大自然から恵みを分けてもらうという気持ちになるんです」
岸壁に100年前のクレーンがそびえる。国の登録有形文化財でもある歴史的構造物だが、今も稼働が続く。「うちの創業は江戸時代。会社より古いからね」。長崎鎔鉄所の伝統を継ぐ技術者らの口癖にも誇りがにじむ。
商用風車を建造し得たのも、誇りか。それとも、造船所に宿るDNAというべきだろうか。
文・萩原隆史(読売新聞)
3000年以上の歴史
![]() |
風車の歴史は古く、エジプトでは3000年以上前から使われていたとの記録がある。灌漑(かんがい)用や小麦製粉用として欧州で発展し、19世紀初頭のオランダや英国では1万基以上が立ち並んだ。発電用風車は、デンマークの物理学者ポール・ラ・クールが1891年、農村部に電気を普及させる目的で発明した。
日本では、明治初期に横浜の居留地に住む米国人が母国から持ち込んだ風車を牧場に設置したのが最初とされる。大正~昭和初期には海軍技術官らが風力発電を研究し、群馬県や鹿児島県の農業学校などに輸入風車が実験的に設けられた。
近年は大型化、高効率化が進む。2007年末現在の世界最大手はデンマークのヴェスタス社で、三菱重工業の市場占有率は9位だ。
JR長崎駅からバスで約15分の三菱重工業長崎造船所・史料館(095・828・4134)には、日本最古の工作機械(重文)や戦艦武蔵の建造日誌など近代工業史を物語る史料約900点が展示されている。無料で要予約。
明治期の埋め立てで扇形の原形が失われた国指定史跡「出島」では石垣護岸の復元事業が進み、オランダ商館など10棟も再現された。


