ページの先頭です。 ページの本文へ メインメニューへ フッタへ

HOME > 製品情報 > エネルギー > こぼれ話 > 花火の下に想う
ページの本文です。

花火の下に想う

風車事業ユニット 主管技師 田北 勝彦

写真:田北勝彦主管技師

 私の故郷は熊本県北西端に位置する荒尾市。有明海の海岸から少し内陸部に入った所に実家があり、その近くにはレインボーに塗られた三菱製の250kW風車が回っています。
 ここは絶叫マシンや観覧車などが並ぶ娯楽施設ですが、この辺りは昔は木造の炭鉱住宅がびっしりと並び、通勤用の炭鉱電車の終着駅があったところです。私が幼い頃は、炭鉱から南側約1kmほどにある熊本・福岡の県境近くの社宅でした。多くの子供がいて毎日、集団で遊び廻っていた頃を懐かしく思い出します。

 昭和38年のとある土曜日、地面全体が短く、鋭く『ズン』と上下方向に揺れ、それとほぼ同時に通過した衝撃音。地震かと思いながら辺りを見回すと、北の空にゆっくりと巻き上がる真っ黒い大きなきのこ雲。これが三池炭鉱の爆発でした。
 きのこ雲が風に流されて形を失う頃には周辺が騒がしくなりました。そのうちに日も暮れだしたので帰宅してみると、3交代の1番方でとっくに帰宅しているはずの父親の姿が見えない。そんな心配をよそに居間の白黒テレビでは、炭鉱の爆発事故に加え、鶴見の列車事故の報道も加わり、こちらも騒がしくなってきました。その日の夜は練炭コタツで暖をとりつつ、相変わらず事故の報道が続く白黒テレビの前で、ただ黙して何かを待つ不思議な夜でした。
 そして、父親が何事も無かったかのように帰宅したのはその翌日の遅くだったと思います。偶然にも難を逃れたものの、そのまま救護隊に加わり、誰もが行きたがらない現場に向かったとのこと。
「家族の心配など関係なし」といった一種の職人気質でしょうが、なぜか子供心にかっこ良く感じた覚えがあります。
 当時のことについての後日談として、「日々、場所も条件も変わる採炭現場で工夫と経験を重ねておれば、どのような変化の中でも何をすべきか分かる。自分の勘(感覚、感性)を信じる…」といった内容の話を記憶しています。私も入社して随分、長く経験を積みましたが、自らの勘に頼れない点、まだ日々の努力が足りないようです。

中途半端な話になりましたが、元旦午前0時、レインボー風車上空の打ち上げ花火を遠くに眺めつつ、ふと想い出した私の心に残る歴史の一場面です。

三井グリーンランド MWT-250

ページの先頭へ
ページのトップへ戻る