会社生活コーナー
当所における労務、厚生、経理の諸制度は常に我が国産業界の最先端にあった。
明治23年(1890年)には進歩的な工場規則が制定され、同30年(1897年)には、三菱病院が開設された。
更に、明治32年(1899年)には三菱工業予備学校が設立された。大正6年(1917年)には本格的な職工規則が制定され、その後、常に我が国の社会政策に先んじ、かつ欧米の趨勢を採り入れて、積極的な改善が行われた。経理制度については、当所が三菱経営になってから郵便汽船三菱会社の規定に従って複式簿記が採用された。更に明治30年(1897年)、荘田平五郎の指導により工業会計および原価計算組織が導入され、その後の諸改善を経て大正12年(1923年)に確立された当所としての原価計算制度は社外各社の制度の基準ともなり、我が国の経理規則制定にも大きく寄与した。
明治23年(1890年)には進歩的な工場規則が制定され、同30年(1897年)には、三菱病院が開設された。
更に、明治32年(1899年)には三菱工業予備学校が設立された。大正6年(1917年)には本格的な職工規則が制定され、その後、常に我が国の社会政策に先んじ、かつ欧米の趨勢を採り入れて、積極的な改善が行われた。経理制度については、当所が三菱経営になってから郵便汽船三菱会社の規定に従って複式簿記が採用された。更に明治30年(1897年)、荘田平五郎の指導により工業会計および原価計算組織が導入され、その後の諸改善を経て大正12年(1923年)に確立された当所としての原価計算制度は社外各社の制度の基準ともなり、我が国の経理規則制定にも大きく寄与した。
| ■ 工部省長崎造船所の就業規則 |
![]() 明治4年(1871年)10月 |
| ■ 工員永年勤続表彰記章 |
![]() 昭和初めまで用いられた。 10年(黄)、15年(緑)、20年(青)、25年(赤) |
| ■ 記章類> |
![]() 所属、職務により記章の形、色が異なった。 |
| ■ 荘田平五郎(第2代所長) |
![]() 明治30年(1897年)から9年間当所に残した足跡は大きく、 わが国では初めて従業員の福祉、教育に力を注ぎ三菱精神の基礎を確立した。 |
| ■ 三菱工業予備学校 教室風景 |
![]() 荘田平五郎の発案で明治32年(1899年)に三菱工業予備学校が設立された。 |
| ■ 大正12年(1923年)7月、三菱球場にて所内硬式野球大会開催 |
![]() 本球場は大正10年(1921年)11月、浜口町の湿地帯を埋め立てて完成。 |
| ■ 三菱会館 |
![]() 出島町に映画・演劇場として、昭和13年(1938年)竣工した。 |
| ■ 構内汽車 |
![]() 構内を縦横に線路が走り、構内汽車は重要な運搬の手段だったが、 戦後自動車の普及により昭和27年(1952年)10月廃止された。 |








