長崎造船所 占勝閣

本館は三菱長崎造船所第3船渠の北方、身投岬の丘上に位置し、元郷社、八幡神社境内の老松古木を庭園に取りいれ、1903年(明治36年)7月起工、翌1904年(昭和37年)7月落成した。
本館は洋風木造2階建で、階上に寝室、ホール、小室を設け、階下を食堂、応接室、書斎等、に区分し、また庖厨を備える地下室がある。総建坪約123坪、もっぱら迎賓館として使用されている。調度類は当時としては最高のイギリス製品を輸入したものである。
1905年(明治38年)1月、軍艦千代田入渠の節、同艦長東伏見宮依仁親王殿下は本館に上泊せられたが、御帰京後、当閣が風光景勝を占めるとの意から、とくに占勝の2字を選び、「占勝閣」と命名された。
その後、多数の皇族が上泊されているが、特に1920年(大正9年)4月、東宮裕仁親王殿下には、長崎造船所にて建造の戦艦土佐の竜骨第1鋲を親しくお打ちになり、御休憩の上九州御巡幸の旅をつづけられている。
また1949年(昭和24年)5月、ようやく国情恢復の緒につくとき、昭和天皇九州御巡幸のことあり、その途次長崎造船所施設など叡覧、占勝閣に御宿泊されている。
(この占勝閣は、公開していません)
